2009年の台風で、JR名松線の家城〜伊勢奥津間は不通になりました。再開したのは2016年3月26日。6年5か月かかっています。
なぜ、この路線は廃線にならなかったのでしょうか。理由はさまざまなことが考えられますが、この記事では、県、津市、JR東海の三者が、それぞれの役割を分けて協力して復旧に取り組んだ点に注目します。
大きな節目になったのは、2011年5月20日の三者協定でした。県が治山工事、津市が水路整備、JR東海が鉄道施設の復旧を受け持つ。その役割分担に沿って、三者が足並みをそろえて工事を進め、運行再開につなげていきました。
この記事では、署名や思い入れの話だけでは見えない、「お金と責任の分け方」の側から名松線の存続を追います。
名松線とは

名松線は、松阪から伊勢奥津まで約43.5kmを結ぶ路線です。廣津川沿いを山へ向かい、標高は松阪の約5mから、終点の伊勢奥津で約260mまで上がります。開業は昭和4年に松阪から始まり、1935(昭和10)年12月5日に家城〜伊勢奥津が開通して全線がつながりました。
名前のとおり(名松線の「名」)、名張への延伸を目指した路線ですが、名張には届きませんでした。この経緯は別の記事で詳しく扱います。
この路線がこれまでに、大きな存続の危機を二度迎えています。
一度目の危機:1982〜83年

一度目の危機の流れを、日付で追います。
- 1982(昭和57)年
- 8月1日:台風10号の被害を受け、全線が不通になりました。
- 9月1日:伊勢竹原〜伊勢奥津間は、代行バスによる運行になりました。
- 11月22日:第二次特定地方交通線に選定され、廃止する路線の候補に選ばれてしまいました。
- 1983(昭和58)年
- 6月1日:伊勢竹原〜伊勢奥津間が代行バスから鉄路に戻り、全線の運行が再開しました。
- 1985(昭和60)年
- 8月2日:運輸省が、代替道路が未整備であることを理由に廃止見送りを決定し、路線は残りました。
1982年11月、第二次特定地方交通線に選定されたことで、名松線は廃止の手前まで来ていました。それでも当時は、国鉄の赤字ローカル線の廃止基準である輸送密度2,000人を超えることを目指して、助成制度などで利用者数の確保に努めていました(「広報みすぎ」による)。
当時の助成制度は、今と比べてもかなり手厚いものでした。広報みすぎ(昭和58年6月1日号)の内容から簡単に紹介します。対象は、20%助成も50%助成も、村内に住んでいる人だけです。
- 回数券の利用者は20%助成(現在は利用できません)
11枚つづり(10枚分の運賃)の回数券を、奥津・八知・竹原駅で買います。駅に備え付けの申請書に認め印をもらい、役場の総務課か出張所に出すと、名松線の利用区間の購入費の20%が助成されました。 - 10人以上のグループは50%助成(現在は利用できません)
乗車券を買うときに、村内の駅に備え付けの申請書へ認め印をもらい、役場に出すと、名松線の利用区間の運賃の半額が助成されました。
今のJR東海では、10〜11枚つづりで10回分の運賃になる回数乗車券は、障害者割引と通学用の割引に限って発売されています。団体では、8人以上のグループが対象の団体割引があり、普通団体は10〜15%引、学生団体は中学生以上で50%引です。当時の学生でない利用者に「10人以上で50%助成」は、今の普通団体の割引より割引率が大きい仕組みでした。
二度目の危機:2009年

二度目は2009年10月8日未明の台風18号です。家城〜伊勢奥津間が被災しました。被災箇所は全線で39か所で、そのうち38か所が山間部の家城駅〜伊勢奥津駅間に集中しました。
JR東海が動いたのは、その3週間後でした。津市長の答弁によると、10月28日にJR東海から津市へ「家城〜伊勢奥津間をバス輸送に切りかえたい」という提案があり、翌29日に記者発表されました。
議員の一人は、この提案を「路線廃止の提案にほかならない」と述べています。
津市の動きは速いものでした。市長の答弁によると、次の順で動いています。
- 10月30日:定例記者会見で、全線復旧を求める姿勢を表明
- 11月2日:美杉地域で住民説明会を開き、同日に知事へ要望
- 11月4日:中部運輸局長とJR東海の専務取締役に面談し、全線復旧を要望
- 12月1日:津市自治会連合会が署名活動を開始
署名は、のちに11万6,268人分が集まったと、津市の公式ページに記載があります。
赤字路線は、そのまま廃止になることが多い。名松線は?
2009年の被災のとき、名松線は赤字路線だったと考えられます。数字で見てみます。
- 被災区間(家城〜伊勢奥津)の駅、つまり伊勢竹原・伊勢八知・比津・伊勢鎌倉・伊勢奥津の乗車人員(三重県統計書より)は、2008年度で合計約3万3千人、1日平均で約90人です。
- 2009年時点の年間の営業収入は約4,000万円、営業費用は約8億円と報じられています(中日新聞の記事の引用で、全線の数字か被災区間の数字かは確認できていません)。
JR東海は2009年10月29日の発表で、バス転換提案の理由を次のように説明しています。「仮に同区間を復旧したとしても、今後もより大きな自然災害が発生するおそれがあり、長期運休等でお客様に迷惑をかけるおそれが高い」。
災害のあと、復旧されずに廃止となった路線もあります。JR東日本の資料「只見線の状況について」には、2010年度の「ご利用の少ない路線」として、在来線全67線区のうち下位10路線が載っています。その中から、廃止となった日高線と岩泉線を、名松線と比べてみます。
- 日高線(JR北海道。日高本線とも呼ばれます):高潮で被災しました。復旧の概算費用は約86億円、2010年度の輸送密度は329人です(費用は乗りものニュース)。のちに鵡川〜様似間は廃止されました(2021年)。
- 岩泉線(JR東日本):2010年の土砂崩れによる脱線事故のあと、修繕費用は約130億円と見積もられました(鉄道協議会日誌)。2010年度の輸送密度は29人で、鉄道を運行していた最後の2009年度は46人でした。廃止は2014年です。
- 名松線(JR東海):2010年度の輸送密度は291人です。復旧費用は約17億円と報じられています。

名松線の復旧費は約17億円で、日高線の約5分の1、岩泉線の約8分の1です。2010年度の輸送密度は291人で、日高線(329人)と同じくらいの規模でした。岩泉線(29人)よりは、ずっと大きい数字です。費用が小さく、利用がある程度あったことは、条件の一つだったかもしれません。ただし、名松線の約17億円は県と津市の分も含んでいて、JR東海の分だけなら約4.6億円です。
ただ、それだけで残ったとは言えません。JR東海は、鉄道の安全の前提になる治山治水をJR自身が行うのは難しい、と説明しています(JR東海広報部の説明として、2016年のNEWSポストセブンの記事に紹介されたもの)。つまり、名松線は、赤字でも利用が多かったから残ったのではありません。鉄道の外側にある山と水の対策を、県と津市が引き受けると約束したことで、JR東海が復旧に応じました。
最初の問い「誰がどこまで?」
署名活動が始まった6日後の2009年12月7日、津市議会で名松線が取り上げられました。ここに、この記事の中心になる問いがあります。
一人の議員は、「全線復旧を要望するだけでは実現が難しいのではないか」、と指摘しました。治山や治水は県の事業という立場ではなく、県と連携してJR東海と協議し、市としてやれることはやるべきだ、という趣旨です。
市長は、こう答えました。JR東海が指摘する山林など周辺部の影響がどの程度か、治山・治水対策がどこをどうすればよいのかを確認する必要がある。その経費と工程、そして「だれの責務として行うべきか」も含めて検討したい。治山は県が重要な役割を担うが、「すべて県任せという認識ではない」。
同じ日、都市計画部長は、JR東海が必要と認める箇所と、県・市が必要と認める箇所を突き合わせる「照合作業」をしたうえで、箇所数と事業費を明確にする、と答弁しました。
つまりこの時点で、問いは出ていましたが、答えは出ていません。誰が、どこまで、いくらで、そして維持管理は誰が担うのか。この問いに答えが出るまで、およそ1年5か月かかります。
答えが出るまでの2つの出来事
問いから協定まで、議事録で追える流れは次のとおりです。
① 2010年11月 JR東海が条件を示す
2011年2月の県議会で、知事はこう説明しています。2010年11月、JR東海から「自治体による十分な治山対策や水路整備が行われ、その後も維持管理が適切に行われるなら復旧する」という考え方が示された、と。
ここで初めて、復旧の条件が具体的な言葉になりました。
② 2011年5月20日 三者協定
県、津市、JR東海が、運行再開に向けた対策事業の協定を結びました。内容は、県議会の2015年の答弁によると次のとおりです。
- 県:治山工事
- 津市:水路整備事業
- JR東海:県と津市の対策工事の完了に合わせて鉄道施設の復旧工事を完了し、運行を再開する
2009年12月の「誰がどこまで」という問いは、ここで答えになりました。協定の2か月前の2011年3月、津市議会では、水路整備に必要な用地の交渉などを担う「名松線復旧推進担当」を美杉総合支所に置く方針も説明されています。
山と水と線路、三者は何をしたのか
三者の役割は、水と土砂の通り道で分けると分かりやすくなります。名松線の被災は、のり面の崩壊や護岸の埋没など、線路そのものより「山と川の側」で起きたものが中心でした。津市の都市計画部長も、被災の内容にのり面崩壊や護岸の埋没などがあると議会で説明しています。
- 県の治山:山の斜面や渓流から土砂が出ないようにする工事です。
- 津市の水路整備:線路まわりの水を安全に流す水路を整える工事です。
- JR東海の鉄道施設の復旧:土砂の撤去、盛土の復旧、線路・電気設備の復旧です。
用地の問題もありました。津市の水路整備には土地の取得や使用承諾が必要です。2011年3月の津市議会で、都市計画部長は用地について、相続や県外への転出などで難航することも予想される、と述べています。2012年9月の議会でも、その年度中にすべての地権者から内諾を得ることを目標にしている、という答弁でした。
標高でも、この線の性格が見えます。松阪駅付近が約5m、家城駅付近が約69m、終点の伊勢奥津駅付近が約260mです。キロ程から計算すると、松阪〜家城の平均勾配は約2.5‰、家城〜伊勢奥津は約11‰で、後半は約4倍の急勾配になります。
被災が集中したのも、この家城から奥までの区間でした。全線39か所のうち38か所が、この家城〜伊勢奥津間でした。
計画と実績
工事はほぼ計画どおりに進み、再開は年度の区切りで見ると、予定より少し早まりました。2011年3月の津市議会で示された計画と、その後に議会で語られた進み具合を並べます。
- 2011年度(平成23年度):津市は水路整備の調査測量と設計に着手し、用地関係を進める。現地に近い美杉総合支所に「名松線復旧推進担当」を置く。
- 2012年度(平成24年度):津市の水路整備の工事に着手する。設計は2012年度中に終える。
- 2012年9月の議会答弁:10月以降に竹原地内の7か所で工事着手の予定。用地は年度内に全地権者から内諾を得る目標。
- 2013〜2015年度(平成25〜27年度):工事と用地関係を進め、2015年度中に全工事を完了させる計画。県の治山も同様の期間。
- 2013年5月30日:JR東海が土砂撤去、盛土復旧、線路・電気設備の復旧に着手。
- 2015年度末:県の治山工事が終了。
- 2016年2月末頃:津市の水路整備が終了。
- 2016年3月26日:運行再開。

2011年3月の津市議会では、予定どおりなら平成28年度に運行再開の見込み、前倒しも視野に入れる、と説明されていました。実際の再開は平成27年度末の3月26日です。平成28年度の始まりまで、あと数日でした。
誰が、いくら出したのか
三者の役割は分かりました。では、お金はどう分かれたのでしょうか。
- 全体 :約17億円
以下内訳
- 県 :約5億円
- 津市 :約7億円
- JR東海:約5億円
県の治山は、県の公式ページによると19か所で、工事費の合計は約4億7,100万円です。
復旧のあと、乗る人は戻ったのか
約17億円をかけて全線が復旧しました。では、復旧の前と後で、乗る人はどう変わったのでしょうか。
駅ごとの乗車人員は、三重県統計書の「JR各駅別旅客乗車人員」で確認できますので、表にまとめました。

数字の上では、復旧のあとも、利用が大きく伸びたとは言えません。この路線が残った背景には、乗る人の数だけでなく、残すための費用と責任を三者で分けたことも大きかったのではないか。それがこの記事の見立てです。
まとめ:条件がそろったから、復旧できた
名松線が復旧できたのは、次の3つがそろったからだと考えられます。
- 利用が、それなりにありました。 2010年度の1日1kmあたりの利用者数は291人で、同じ年の岩泉線は29人でした。
- 復旧費用が、見通しの立つ範囲でした。 JR東海の負担は約4.6億円、全体で約17億円と報じられています。
- JR東海が示した条件を、県と津市が受け入れました。 県が治山、津市が水路整備、JR東海が鉄道施設を受け持つ三者協定を、2011年5月20日に結びました。
どれか一者でも抜ければ成り立たない形を、三者で実行できたことが、名松線が消えなかった一番の理由です。
復旧したあとも、維持管理は続きます。乗って、沿線を歩いて、使うことが、この路線を支える一番身近な方法で復旧したあとも、維持管理は続きます。乗って、沿線を歩いて、使うことが、この路線を支える一番身近な方法です。
出典一覧
- 名松線を元気にする会
- 津市 名松線の復旧について
- 三重県 名松線関連の治山事業
- 津市議会会議録:平成21年12月定例会(第4回)12月7日 第2号、平成23年3月定例会(第1回)3月10日、平成24年9月定例会(第3回)
- 乗りものニュース JR東海・名松線 6年半ぶり運行再開
- 津市 当初予算書(平成24・25・27年度の一般会計、款8土木費・項5都市計画費・目1都市計画総務費「名松線復旧関係事業」)。H23はH24予算書、H26はH27予算書の「前年度」欄の値
- JR東海 【社長会見】名松線(家城駅~伊勢奥津駅間)復旧工事の着手について
- 三重県統計書「JR各駅別旅客乗車人員」
- JR東日本「只見線の状況について」
- 鉄道協議会日誌 赤字ローカル線の災害復旧をJRが拒むようになった理由
- 三重県議会会議録:平成23年第1回定例会(第2号 2月18日)、平成27年第1回定例会(第4号 2月24日)
- 広報みすぎ 昭和58年6月1日号 No.248 など


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