この記事は、一般社団法人中部経済連合会や中部圏開発整備地方整備会の資料、さらに国土交通省や各種報道をもとに、伊勢湾口道路の全体像をわかりやすくまとめています。
伊勢湾口道路ってなに?

伊勢湾口道路(いせわんこうどうろ)は、正式には三遠伊勢連絡道路と名付けられた、愛知県の渥美半島(三ケ日)と三重県の志摩半島(鳥羽)を、伊勢湾の最も狭い部分(湾口部)でつなぐ計画の道路です。全長は約90kmで、陸上部分と海峡横断部分(約20km)が含まれています。
この道路ができると、愛知県と三重県南部がぐっと近くなり、物流や観光、防災の面でも大きな効果が期待されています。
歴史と構想の変遷
伊勢湾口道路のアイデアが初めて登場したのは、今から60年以上前の1964年。国連の調査団(ワイズマン報告書)が「日本の国土発展には、太平洋側に新しい東西の大動脈が必要」と提案したのがきっかけです。当時は東海道新幹線が開業したばかりで、高速道路もまだ整備中。そんな時代に「伊勢湾を横断する道路を作ろう」という壮大な構想が生まれました。
その後、1987年の全国総合開発計画では「伊勢湾広域幹線道路網」の一部として検討され、1994年には「地域高規格道路」の候補に。2000年代には国土交通省が「8の字構想」(下記図参照)として、伊勢湾をぐるっと囲む高速道路ネットワークを描きました。その中で、唯一事業化されていないのがこの伊勢湾口道路です。

調査は進められましたが、交通量の見込みが少ないことや、建設費の大きさ、環境への影響、技術的な課題などから、2000年代に一度検討がストップ。しかし、東名・名神高速道路の老朽化や災害リスクの高まり、観光需要の増加などを背景に、「もし今ある高速道路が通れなくなったときの“予備ルート”としても重要では?」という声が再び高まっています。
そして、令和3年3月に策定された「三重県 新広域道路交通計画」では、伊勢湾口道路は「構想路線」として、「必要な検討を進めるなど、地域の実情に応じた検討を行う」路線として、位置づけされました。
どんなルートを通るの?
伊勢湾口道路は、愛知県の伊良湖岬から三重県鳥羽市まで、直線距離で約20kmの海峡部を横断します。途中には神島や答志島などの島があり、橋やトンネルでこれらをつなぐルートが考えられています。
例えば、瀬戸大橋やしまなみ海道のように、島を経由して複数の橋でつなぐ案や、東京湾アクアラインのような海底トンネル案も考えられますが、近年の船舶の大型化を考慮すると、海底トンネル案が有力だと思われます。

ちなみに、日本で海峡を横断する橋のうち、最も長いのは「東京湾アクアライン」のアクアブリッジで、神奈川県と千葉県を結び、橋の部分だけで約4.4kmの長さ(全体は海底トンネル含めて約15km)があります。次に長いのが「明石海峡大橋」で、兵庫県神戸市と淡路島を結ぶ吊橋として約3.9kmを誇ります。どちらも日本を代表する大規模な海峡横断橋で、交通や物流の大動脈となっています
現在の進捗状況
伊勢湾口道路は、2020年代に入ってもまだ「構想段階」にあります。ただし、国の長期計画(国土形成計画)や中部圏の開発計画には明確に位置づけられており、「今後10年で調査や準備が進む可能性がある」とされています。
一方、渥美半島側の「渥美半島道路」(下記図参照)や、さらに東名高速へつなぐ「浜松湖西豊橋道路」(下記図参照)など、周辺の高規格道路の計画は着実に進行中。これらが完成すれば、伊勢湾口道路の実現に向けた機運も高まるとみられています。


まとめ
伊勢湾口道路は、愛知と三重を最短でつなぐ夢のプロジェクトとして、1960年代から構想されてきました。時代の変化や社会のニーズに合わせて、何度も検討が進められたり止まったりしてきましたが、今また「災害時の予備ルート」や「地域の活性化」に向けた重要なインフラとして再び注目されています。
技術的には、橋やトンネルの建設方法、環境への影響、建設費の問題など、まだ多くの課題がありますが、国や自治体、経済界が連携し、長期的な視点で検討が続けられています。
現時点ではまだ構想段階ですが、国の計画にも明記され、今後10年で動きが出る可能性も。伊勢湾口道路が実現すれば、東海・近畿・関東を結ぶ新たな大動脈となり、私たちの暮らしや産業、観光にも大きな変化をもたらすことでしょう。
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